寺報

「あとがき」2017年冬号より

 2017年を振り返ってみると私にとって激動の一年だった。大本山總持寺での修行に区切りをつけ、駆け出しの僧侶として活動しながら、曹洞宗総合研究センターの研修生として研究に励む。文字にすればたったこれだけのことだが、この一年で得られた知識や経験、様々な景色や数え切れないほどの出会いは私の大切な宝物になっている。

 本山での厳しくも思い出深い修行の中で曹洞宗総合研究センターへの入所を決意したこと。生まれて初めて真如寺以外の場所で正月三が日を過ごしたこと。修行生活の合間をぬって受験勉強に励んだこと。宗派を超えて仏教と音楽について語り合ったこと。老人ホームや幼稚園で法話をしたこと。挙げていけばキリがないが、中でも特に色濃く残っている出来事がある。

 いま、私は研究センターに通うかたわら駒込にある吉祥寺で休日の法事に随伴させていただいている。このお寺は私の父がお世話になっていた名刹であると共に、ちょうど今の私と同じ歳の頃を過ごした場所でもある。お手伝いしているうちに、当時の父を知る先代の奥様と二人でお話をする機会があった。懐かしそうに回想する奥様との会話の中で、それまで気づかなかった父の一面を垣間見ることができた。「今、私は昔の父と同じものを見ているのだ」会話の中でそう思った時、時代を超えて父と私の足跡が交わったことに不思議な「つながり」があるように思った。それはきっと、ご縁だとか親子だとか様々にあらわすことのできる「つながり」なのだと思う。でも、私はあえて、それが師と弟子の間に生まれたものなのだと思いたい。だからこそ私は、奥様との会話の終わりに、「まぁ、私の師匠ですから笑」と照れたのだ。

 駆け出しの僧侶として、仏教と音楽を勉強するものとして、師匠である父を見て育ったものとして、まだまだ学び励まなければならないことは山のようにある。しかし、この2017年という年が、それまでの私の中にあったバラバラなものを、ゆるやかではあるが確実につなげ、たくさんの宝物を育んだことを大切に記憶し、2018年を迎えたいと思う。

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