ありがたや
  音に聞こえし、岩船の
    救いに乗りて 弥陀の浄土へ

岩船地蔵菩薩縁起

 

 宝暦三年(1753) この辺りで海難が相次ぎ、さらには悪病が流行した。その時、真如寺六世・桂岩祖林和尚の夢に岩船地蔵尊が現れて、袖師村を救おうと告げられた。夢のお告げのごとく、興津薩埵峠沖で地蔵尊を見つけた和尚は「浜のお堂」に祀り、三十日間の法要を行うと海は鎮まり疫病も終息した。

 その後、東海道の往来が激しくなったので清閑な真如寺の境内へと地蔵堂が遷された。地蔵堂には海上安全の祈願から金毘羅大権現が合祀され、地蔵尊と共に村人に親しまれていた。

 しかし、明治元年(1868)の神仏分離令により、地蔵堂は金比羅宮として神社に変更され、地蔵尊は真如寺本堂へと遷されることになった。大正三年(1914)の八月盆には、上町の船大工・川本万太郎が、最後の仕事として地蔵尊を祀る全長 150 cm程の千石船の模型を制作し、台座として奉納した。昭和四十四年(1969)に霊光殿(開山堂・位牌堂)が建立されたことにより、本堂より移されて現在に至っている。真如寺鎮守として須弥壇中央に安置された岩船地蔵尊は年に一度、秋頃に行われる岩船大祭にてご開帳され、その御威徳をあらわしている。

岩船地蔵御詠歌   ありがたや  音に聞こえし、岩船の  救いに乗りて 弥陀の浄土へ

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